はてなブックマークの注目エントリにこんなブログ記事が。
「[与太話]どうして日本語には緑の形容詞は無いんだ?? さあ、どうしてだ?」(「木走日記」さん)
緑を全面に出してるうちとしては気になる記事です。
内容は知り合いの外国人との飲みの席で日本語はヘンだ的な話になり、
ス「じゃあ最後に聞くが「緑」の形容詞が見あたらないのだがこれはどうしてだ?」木「ウウ(絶句」
ス「「緑い」なのか? 「緑色い」なのか? ええ、どうなんだ?」
木「ムムム(た、たしかに緑の形容詞がないなあ(汗)」
ス「どうして日本語には緑の形容詞は無いんだ?? さあ、どうしてだ?」
木「ウームムム(大汗」
ス「どうだ、どうやら俺の勝ちのようだな」
木「・・・・(なんで勝ち負けになるんだよ(苦笑))」
とつっこまれてしまったと。なるほど、確かに。
「赤い」、「青い」、「黄色い」とかはあるのに、「緑い」とか「緑色い」って表現は、普段は使いません。
というわけで、とりあえず ウィキペディアで緑について調べてみると、こんな記述が。
マヤ文明や漢字圏文化(日本、中国、ベトナムなど)では、"green" と "blue" を明確に切り分けないが、別の文化圏においては厳密に区別される。これは色の区分に物理学的な根拠が無く、文化によって区切られていることによる(鈴木孝夫の『ことばと文化』<岩波新書> などに詳しい)。
さらに ウィキペディアの色についての記事なんかも見て納得というか再認識したのですが、色というのは 光の波長(スペクトル?)を網膜が感じ取って判別するものなので、実はその判別・認識は個人によって異なるのです。だから、「緑」として認識しているこの色も、実は他の人の頭の中では全然別の色として認識されているかもしれません。(色覚障害は、おそらくこの違いが顕著になる症状なんだと思います。)これは大分前(確か大学生くらいで カラーコーディネーターとかの資格をとりたがってた頃)にちょっと考えていたことなんですが、この記事で思い出しました。
ただ、光の波長自体は同じものなので、例えば別々の人がその同じ波長を「緑」と認識すれば、その波長が「緑」となるわけです。ようは光の波長に名前を付けている感じでしょうか。というわけで、アジア圏では文化的に「緑」が「青」の一部として捉えられた、というのも十分納得できます。
この辺り、元記事のコメント欄やはてなブックマークのコメントなどにも色々詳しく書かれていて、勉強になります。色はやっぱり奥が深い、と改めて認識することができるよい記事ですね。(ってエラそうですね、すみません。)
ちなみに、このウィキペディアの色の記事は色の原理なんかが詳しくかかれていて結構面白いので、興味のある方はご一読をオススメします。
であ、また。